皆さん、こんにちわーーーー!!!!
今日は、日常であったちょっとした気づき、そのことについて書いていこうと思います。
特に何かの役に立つようなことでもないかもしれませんが、ぜひ、気楽に読んでいただければ幸いです!!!!
ことの発端
それは、私がイヤホンでYoutubeを聞きながら、鼻歌を歌いながらプラプラ歩いていた時のことです。
私の近所はわりと田舎なので、あまり人も歩いていません。
そのこともあって、結構大きな声を出していたのかも知れません。
向こうから、一台の自転車が走ってきました。
運転している人は、20代後半くらいでしょうか?
その人は私の横を通り過ぎる時に、こんなことを叫んでいました。
「うるさい!だまれ!うるさい!だまれ!」
ぱっと見ただけでも、精神的に不安定なのが見て取れました。
その時、私の心の中に、ちくりとした痛みが走りました。
私も、色々と不安定だった時期を経験しているので、自分と同じ苦しみを他の誰かに同じように与えてしまったことが嫌だったのでしょう。
実際そこまで大袈裟に考えたわけではないですが、もやっとした原因としては、多分そんな感じだと思います。
「次からは、もうちょっと、小さい声で歌おう。」
そう誓いました。(歌うなよ・・・。)
2種類のガマン
家に帰って来てから、そのことについてフォールアウト76(私が最近遊んでるゲームです)を遊びながら、ぼーっと考えていました。
「そういえば、自分から何かをガマンしようと思ったのってひさしぶりかも・・・。」
そうなんです。
ガマン「させられる」ことは毎日ですが、ガマン「しようとする」ことってなかなかレアなんじゃないでしょうか?
そこで、私はこう思いました。
「ガマンには2種類のガマンがあるのかも知れない・・・。」
と。
ひとつは『やらされるガマン』。
これは『自分のためのガマン』とも言えます。
本当はイヤだけど、自分の安全のため、利益のため、しょうがないからやらなきゃいけないガマン。
もうひとつは『自分で決めてやるガマン』
これは『他人のためのガマン』です。
本当はこうしたいし、やろうとおもえばできるかも知れないけど、それをすると困る人がいるから、あえてやらない。そんなガマン。
最初のガマンは、ないほうがいいですよね?
少なければ少ないほどいい。できれば減らしていきたい、そんなガマンです。
ただ、1つめのガマンと2つめのガマンをごちゃ混ぜにしてしまうと、問題が出てくると思うんです。
きっと、『自分で決めてやるガマン』は、意識して減らさなくてもいいと思います。
他人のためのガマンはやったらやったで、自己肯定感上がると思います。
どんな時に混ざるのか?
これは私の話になるので、一般的な基準などはわかりませんが、私も今まである程度の理不尽に耐えてきました。
そしてそのあとで、ある程度の自由が確保された時に、何が起きたと思います?
わき起こって来るんですよ。怒りが。恨みが。復讐の炎ってやつです。
「今までよくもさんざんやってくれたな。ここからはこっちのターンだ。目にもの見せてやる。お前が今までやってきたことをそっくりそのまま返してやる。」
もちろん、そんなことが実行に移せるはずもありません。
怯えや、1つめのガマンとの戦いが終わったあとは、自分の怒りとの戦いが待っているのです。
そんな時に、ごちゃ混ぜになっちゃうんじゃないでしょうか?
ガマンという行為そのものが、奴隷の証、服従の証にしか見えなくなってくる。
もし、皆さんが1つ目のガマンで苦しんでいるなら、(なくなることなんてないかもですが)少しでもその量が減って、自由が増えるようにように願います。
(いや、偉そうに言ってますが今でも不自由してますけども・・・。)
でももし、ある程度の自由を得て、「今まで苦しんできたんだから、もう二度とガマンなんてするか!!」と思ってる方がいるなら、ちょっと立ち止まってみて欲しいんです。
2つ目のガマンは、誰かを救います。
いや、下手をしたら、2つめのガマンをしないことで、誰かを傷つけてしまうかも知れません。
そうなれば、今度は逆にあなたが恨みをかうことにもなりかねません。
というわけで、今回はふと思いついた考えをつらつらと書いてきました。
人にやさしくいたいですよね~。ラブアンドピース!!
それでは皆さん、今日も良い一日を~~~~~~!!!!!!!!